2022年8月に、米国の彗星捜索者ドナルド・マックホルツ氏が死去
されました。
世界屈指のコメットハンターで生涯に12個の彗星を発見し、メシエ
マラソンの発案者の一人でもありました。享年69。
昨年、西村彗星を発見した彗星捜索者の掛川の西村氏がマックホルツ氏の
追悼文を書かれましたので、当ブログでも紹介したいと思います。
タイトル画像 2004Q2 マックホルツ彗星とすばる 撮影者 田代貞
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マックホルツ氏が発見した12個の彗星
ここよりご本にによる手記を掲載します。
私が彼を知ったのは何年前かはっきりしませんが眼帯をしていて
簡易望遠鏡に載せた反射望遠鏡供に写っていた写真でした。
生涯で12個の新彗星を発見し、当クラブ会員と2個の彗星発見を
分かち合いました。
1個目は1988年8月のC/1998P1マックホルツ彗星で寺迫正典さんも
独立発見されました。
2個目は1994年7月のC/1994N1中村・西村・マックホルツ彗星です。
中村正光さんが日本時で6日2時6分、私が2時58分、
マックホルツさんが当日の日本時間で18時47分の発見でした。
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1994N1 中村・西村・マックホルツ彗星の発見事情について
この2個目の彗星についてマックホルツさんのホームページに
発見事情が書かれているのを最近知りましたので、翻訳ソフト
での文面を私なりに要約しました。
1994年6月23日が満月だったことから2日後の25日の夕方から
捜索を稼働し、27、30、7/1、2、3日と捜索、7/4、5日の夕方は
捜索をやりませんでした。
7/6午前1時から口径125mmの双眼鏡で北極星の上5度、高度42度
から捜索を始めました。
華氏63度で風はない状態でした。
NGC2268と1530の星雲を確認して2時47分に赤経3h56m、赤緯+70.2°
に光度10等級の彗星らしき天体を発見。
90分間の間で彗星が動いているのを確認しました。
(捜索時ラジオ音楽を聴いていたようです。)
家に入りパソコンで既知の彗星がいないかを調べて報告しました。
その後、口径15cmの反射望遠鏡をガレージから取り出し妻と息子を起こして
見せました。
また、口径25センチ反射で位置、動き、外観を観察し、1時間ほど眠り
ました。
目が覚めてマースデン博士に電話したところ「パロマ天文台のヘリンが撮影し
彗星を確認したということで、先に二人の日本人が見つけており三人の名前に
なるでしょう」と答えまたこの彗星には最も長い彗星名25文字になるとコメ
ントしてくれました。
彗星捜索メモを見ると、7/3夕方から7/4朝にかけての捜索では彗星の
上空10度で疲労のため中止しており、捜索をしていれば7/4の朝に発見
していたでしょう。
6日は中断したところから始めての発見でした。
また、6月にもチャンスがああったのですが見逃していました。
この彗星は南下して9月上旬には1日3度で移動して10月7日の私の誕生日に見よう
としましたが地平線から8度で見ることはできませんでした。
この彗星は2002年にLINEARで発見されたC/2002Q2とC/220Q3の2彗星と
軌道がほぼ同一でした。
マックホルツ氏の捜索機材と場所について
要約は以上ですが発見に私用したス眼鏡は航空写真用のレンズ口径125mm
(口径155mmを絞っている?)の対物レンズをニュートン式反射望遠鏡の斜鏡を
数個使用して自作したもので重さは68キロと私の想像に及ばないものでした。
マックホルツ氏のホームページより画像を引用しました。
また、4.8m×3mの捜索小屋も自作されたものでした。
マックホルツ氏のホームページより画像を引用しました。
発見事情を読んでマックホルツさんはの彗星捜索場所が如何に晴天率と透明度が良いか
想像できます。
私の所はこの時期晴れませんですし、NGC2268と1530の星雲をチェックされて
いるが、光度は11.5等と12等級で関勉さんや多胡さんのカタログにはないと思われます。
もちろんわたしもチエックしていませんでした。
彗星捜索範囲については広範囲を探すのでなく範囲を決めて深く探していることが想像
できます。
(図参照)
C/2018V1 マックホルツ・岩本・藤川彗星発見の捜索範囲の様子
マックホルツ氏のホームページより引用
このような探し方ができるのは晴天率が良いからだと思います。
日本ではとても考えられません。
昨年、私の発見した新彗星についてマックホルツさんからお祝いの
言葉が発信されていたことがある方から聞きました。
英語のできない私は軽く聞き逃していましたが、その時、“何らかのご返事をするべき
だった”と悔やんでおります。
仕事よりも彗星探しを優先されたマックホルツさんの記事を読んで、いつか必ず訪れる
“死”に向かっての生き方を改めて考えさせられました。
次の世があり、彼と彗星探しの話ができるなら自分の“死”も素敵に受け入れられるように
感じられます。
The Comet Hunter – Don Machholz
浜松スペースハンタークラブ 会誌ほし 二人との別れ 西村栄男 より引用
まとめ
今回は西村彗星の発見者西村栄男氏が、今年亡くなった米国のコメット
ハンターマックホルツ氏に追悼文を書かれましたので、その手記を
紹介しました。
12個の新彗星を眼視で発見した捜索環境がよくわかりました。
新型コロナウイルス感染症のため、急逝されました。
改めてご冥福をお祈りします。
当ブログへの掲載許可を頂いた西村氏に誌面にて感謝します。
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西村新彗星の発見事情について -その3- 西村彗星公式命名される
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