今回は、銀座ソニーパークで行われた「100.80.60.展」
の2010年代ブースの展示を紹介しながらソニーと銀座
の歴史を振り返ります。
この時代は、スマートフォンXperia初代スマート
フォンやαシリーズのミラーレスカメラが登場。
現在のソニーの主力商品がラインアップされていく
一方でソニービル解体、パーク化への変換の時期
でありました。
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銀座ソニーパーク「100.80.60.展」で振り返る、2010年代のソニーと銀座
銀座ソニーパークで開催された「100.80.
60.展」は、銀座の100年、ソニーの80年、
そしてソニービルの60年を重ね合わせなが
ら、この街と企業の歩みを振り返る展示で
した。
11人の作家やアーティストが、銀座の各年
代を「銀座と、モダン。」「銀座と、まぶ
しさ。」「銀座と、衣替え。」といった言
葉で表現していたのが印象的です。
2010年代のソニー。
Xperia、BRAVIA、ウォークマン、ハンディカ
ム、α、VAIO。ソニーらしい製品が次々と登場
する一方で、「家電のソニー」は厳しい時代を
迎えていました。
そして、その変化を銀座の街そのものが静かに
映し出していたように思います。

華やかだった銀座
2010年代、世の中はリーマンショックや
東北の大震災の影響等で景気は低迷中でし
た。
それでもその当時の銀座は、和光の時計塔を
背景に、海外のラグジュアリーブランドが路
面店を構え、街全体が洗練された雰囲気を放
っていました。
秋には「オータム・ギンザ」として街全体で
催事が開催され、銀座レストランウィークや
画廊の夜会など、大人の遊び心をくすぐるイ
ベントが連日賑わいを見せました。

ブログ筆者も銀座ソニービルや銀座によく
訪問するようになったのは2010年代でし
た。
いつも活気のある銀座の街を歩きました。
文具の伊東屋ににて、おしゃれでスタイリッ
シュな文具を手に取り、日々の仕事や趣味
をより楽しくしてくれるアイテムを探しま
した。
長く愛用できる上質なバッグもこちらで
購入しました。
銀座シップスではオーダーメイドのスーツを
仕立ててもらい、自分だけの一着を手に入れ
ました。
経済が厳しい時代でも、銀座は特別な場所で
した。
そこで過ごす時間は、私に小さな贅沢と、前向
きな気持ちを与えてくれました。
銀座ソニービルでは、新製品の大型液晶テレビの
展示を見たり、当時は、ソニーストアが常駐して
おり、VAIOPCの購入相談に行きました。




「100.80.60.展」の2010年代の会場では、
川島小鳥さんによるエッセイと2010年代
の銀座の写真が展示されておりました。
2010年、Xperiaが登場
2010年代のソニーを語るうえで、Xperiaの
登場は外せません。
正確には、Xperiaブランドの最初の製品は20
08年に登場した「Xperia X1」になります。
Windows Mobileを搭載したスライド式のス
マートフォンで、現在のXperiaとはかなり異
なるスタイルでした。
日本で大きな話題になったのは、2010年に
NTTドコモから発売された「Xperia SO-0
1B」です。
Androidを搭載し、大画面ディスプレイ、
タッチ操作、カメラ、音楽再生などを一台に
詰め込んだ、当時としては非常に先進的な
端末でした。


当時のXperiaには、単なる携帯電話とは
違う雰囲気がありました。
ソニー・エリクソン製らしいデザイン、音
楽や映像に強いソニーらしさ、そして新し
いAndroidの可能性。
iPhoneがスマートフォンの新しい方向性を
示すなかで、Xperiaは「ソニーがつくるス
マートフォン」として存在感を放っていま
した。
携帯電話を買ったというより、ウォークマン
とコンパクトデジタルカメラとインターネット
端末が、一つの美しい機械にまとまったような
感覚でした。
Xperia 1 シリーズの初代(Xperia 1)は、20
10年に登場しました。
現在のXperia1Ⅷに続く国産唯一のソニー最上位
のスマートフォンになります。
が登場したから続くソニーの最上位スマホラインです。
αシリーズからミラーレスカメラが登場
ソニーのデジタル一眼カメラ「αシリーズ」は、2006 年
6 月 9 日に初代モデル「α100」を発表し、同年 7 月 21
日に発売されました。
これはコニカミノルタのカメラ事業をソニーが引き継いだこ
とで実現したもので、ミノルタ時代から続く「α」ブランド
の歴史を受け継ぎつつ、ソニー独自のデジタル技術を加え
た第一号機です。
その後、2013 年 11 月には世界初のフルサイズミラーレス
一眼「α7」「α7R」を発売し、現在のミラーレス市場をリー
ドする存在へと進化しました。

aiboも再登場


2016年 グラスサウンドスピーカー発売
こんなおしゃれなスピーカーが当時発売。
家電のソニーが苦しんだ時代
しかし、Xperiaの登場と同じ時期、ソニー全体
を取り巻く環境は決して明るいものではありま
せんでした。
2008年のリーマンショックによって世界経済が
大きく落ち込み、日本の消費も冷え込みました。
その後、2011年には東日本大震災が発生し、日
本経済やサプライチェーンにも大きな影響が及び
ました。
さらに、テレビやパソコン、デジタルカメラなど、
ソニーが得意としてきた分野では競争が激化しま
す。
テレビ事業では、価格競争と韓国・中国メーカー
の台頭。
パソコン事業では、スマートフォンやタブレットの
普及。
コンパクトデジタルカメラでは、スマートフォンの
カメラ性能向上。
オーディオや映像機器では、ネット配信やクラウドサ
ービスへの移行。
ソニーは長年、「高性能で個性的な製品」をつくる会社
として評価されてきました。
しかし、2010年代になると、性能の高さだけでは市場
を維持することが難しくなっていきます。
テレビのBRAVIA、パソコンのVAIO、携帯音楽プレー
ヤーのウォークマンなど、ソニーを代表するブランドは
健在でした。
それでも、かつてのように「ソニー製品を買えば未来が
手に入る」と感じさせる力は、少しずつ弱まっていたよ
うに思います。
この時期は、ソニーにとって「何でもつくる総合家電メ
ーカー」からの変換を求められる苦しい準備期間だった
のでしょう。
それでも銀座は華やかだった
ソニーの業績が厳しい時代であっても、銀座の街は華やか
でした。
数寄屋橋交差点に建つソニービルは、銀座を訪れた人が自然
に足を止める場所でした。
館内にはソニー製品が並び、ショールーム、ソニーストア、
ソニーイメージングギャラリーなどが集まっていました。
銀座を歩いていると、ソニービルは単なる販売店ではなく、
「ソニーの世界を体験する場所」だったことが分かります。
製品を購入する目的がなくても、最新のテレビを見る。新しい
カメラを手に取る。ウォークマンで音楽を試聴する。
展示された映像やデザインを眺める。そして、銀座の街へ
戻っていく。
この一連の体験そのものが、ソニーブランドの価値でした。
2010年代の銀座には、高級ブランドの店舗、老舗百貨店、
劇場、映画館、飲食店が並び、街全体に特別な空気があり
ました。
ソニーが苦境にあったからこそ、銀座の華やかさのなかに
あるソニービルは、かつてのソニーの輝きを守るショーケ
ースのようにも見えました。

前ソニービルと「It’s a Sony 展」の垂れ幕
「It’s a Sony 展」とソニービルの終幕
2016年、ソニーと銀座に大きな転換点が訪れます。
この年はソニー創業70周年であり、ソニービル開業から
50年という節目でもありました。ソニーはソニービルを
営業終了し、建物を解体した後、その跡地を「銀座ソニ
ーパーク」として活用する計画を発表しました。
その最後を飾った大規模な展示が、「It’s a Sony 展」
です。


歴代のテレビ、ラジオ、ウォークマン、
ハンディカム、VAIO、ゲーム機、デジ
タルカメラなど、ソニーの歴史を彩って
きた製品が一堂に展示されました。
そこには、単なる製品展示を超えた、
ソニーというブランドの記憶がありま
した。
「It’s a Sony」という言葉は、ソニー
製品を見た瞬間に感じる驚きや高揚感を
象徴していました。
しかし、展示を見ていると、その言葉は
過去のキャッチフレーズというより、「
ソニーはこれから何を目指すのか」とい
う問いかけにも聞こえました。
そして、2017年3月31日、ソニービルは
営業を終了します。
なお、ソニーストア銀座とソニーショール
ームは、ソニービルの営業終了に先立つ2
016年8月28日に閉店し、同年9月に銀座
4丁目交差点の「GINZA PLACE」へ移転
しました。
ソニーイメージングギャラリー銀座も同じく
移転しています。
つまり、ソニーが銀座から完全に姿を消したの
ではありません。ソニービルという象徴的な建
物を離れ、銀座の別の場所で新たな形に生まれ
変わったのです。
ここにも、2010年代のソニーらしい転換が表れ
ていました。
ソニービルからソニーパークへ
ソニービルは、1966年に開業しました。
半世紀にわたって銀座の風景の一部となった建物を
解体し、跡地を一度、開かれた広場にするという発
想は、当時としても非常に大胆でした。
従来のショールームは、建物のなかで製品を見せる
場所でした。
一方、銀座ソニーパークは、街のなかに人が自由に
入り、イベントや音楽、アート、飲食などを楽しむ
場所です。
商品を見せるだけでなく、人が集まり、体験し、
記憶を持ち帰る。ソニーは銀座での役割を、ショ
ールームから「ファンが生まれる場」へと変えよ
うとしたのだと思います。
「100.80.60.展」の地下フロアでは、ソニービル
の建て替え決定から、2025年に現在のGinza So
ny Parkがグランドオープンするまでのプロセスを
記録した展示も行われました。
そこには、ソニービルを壊して終わりにするのでは
なく、その精神を次の時代へ引き継ごうとするソニ
ーの姿勢が感じられます。
関連記事リンク
Ginza Sony Parkのグランドオープンに至るまで、
2010年代はソニーの「再出発」だった
2010年代のソニーは、決して華やかな時代ではありま
せんでした。
テレビやパソコンなどの家電事業では苦戦し、リーマン
ショックや東日本大震災という大きな社会変化にも直面
しました。
一方で、Xperiaを世に送り出し、カメラのαシリーズ
を成長させ、イメージセンサーやゲーム、音楽、映画
など、ソニーの強みを改めて見つめ直した時代でもあ
ります。
銀座ソニービルの解体は、ソニーの敗北を意味していた
のでしょうか。
それは、かつての成功モデルにしがみつくのではなく、
ソニーと銀座の関係を新しくつくり直すための決断
だったのではないでしょうか。
ソニーと銀座の歴史は、建物だけに刻まれているので
はありません。
そこを訪れた一人ひとりの記憶のなかに、今も生き
続けています。
2010年代は、ソニーが過去の栄光を振り返りながら、
次の時代へ歩き始めた10年でした。
そして銀座ソニーパークは、その再出発を象徴する場所
だったのです。
※「100.80.60.展」は2026年4月24日から5月31日
まで、Ginza Sony ParkのB2・B1・3F・4Fで開催
されました。
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まとめ
今回は、銀座ソニーパークで行われた「100.80.60.展」
の2010年代ブースの展示を紹介しながらソニーと銀座
の歴史を振り返りました。
次回いよいよ2020年代、銀座ソニーパークビル開業と
ソニーグループが発足、エンターテインメント企業へ
の変換についてご紹介いたします。

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