只今、ゴールデンウイークの真っ最中。
いかがお過ごしでしょうか。
今回も小休止して、ソニーパークの
開催中のイベントを紹介。
『100.80.60.展』は、銀座100年・
ソニー80年・ソニービル60年をた
どることができるおもしろいイベント
です。
このイベントを振り返りながら、
ご一緒に銀座とソニーの歴史を
画像や映像をまじえて見ていき
ましょう。
今回は、1920年代・30年代の銀座を
軸に紹介します。
この頃は、昭和のはじまりと銀座の
モダン化を重ねて体感できます。
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銀座に立ち上がる近代の気配
銀座100年。
振り返るのスタート年は、1920年。
この年代のキーワードになる出来事は
1923年9月1日に起きた関東大震災。
その後の復興の過程で、モダンデザイン
の建築が行われていきます。
銀座が関東大震災後の帝都復興を通じて、
近代都市として再生していく空気を感じ
られる時代になります。
震災後の銀座では、道路拡幅や区画整理
が進み、1930年ごろには新しい街並みが
概ね整いました。
つまり1920年代から30年代の銀座は、
古い東京からモダンな東京へと切り
替わる、都市の“更新期”だったわけです。
モボ・モガの時代
1920年ごろの銀座を象徴する言葉として、
モボ・モガがあります。
モボ・モガ(モダンボーイ・モダンガー
ルの略称)
洋装、短髪、カフェー文化、映画館、百貨店
といった要素が、銀座を「都会らしさ」の発
信地にしていきました。
とくに女性のファッションや身のこなしが変わ
り、銀座は「歩くだけで新しい時代を感じる街」
になっていきます。
この空気感は、『100.80.60.展』が扱う昭和初期
の華やぎともぴったり重なります。

光と看板の銀座
1927年の銀座タニザワのネオン管、1932年
の服部時計店の大時計は、銀座が“見る街”へ
進化したことを象徴する存在です。
ネオンは夜の街に新しい表情を与え、時計塔
は「時間を知らせる機能」を超えて、銀座の
ランドマークとして都市の顔になりました。
こうした看板や塔は、単なる広告や設備では
なく、近代日本が夢見たスピード感と洗練を
可視化する装置だったと言えます。
銀座が「最新の文化を見せる舞台」になった背景
には、こうした都市の視覚文化の成熟があります。


1928年の資生堂アイスクリームパーラー
1928年の資生堂アイスクリームパーラーは、
銀座のモダンなライフスタイルを体現する出
来事として語れます。
喫茶や甘味が“社交の場”になることで、銀座
は買い物だけの街ではなく、滞在し、語り合
い、時代の空気を味わう街になりました。
こうした場所は、モダンガールや知識人、文化
人が行き交う都市の記号でもありました。
銀座の魅力は、建物そのものよりも、そこで
生まれる新しい過ごし方にあったのです。

関連記事リンク
穂村弘氏と時計の象徴
イベント会場では、歌人、エッセイ
ストの穂村弘氏が、「銀座と時計」
というタイトルでエッセイを
紹介しております。
穂村弘氏が語る銀座の大時計は、震災復
興後の都市における「時間」と「近代」
の象徴として読むと、とても印象的です。
大時計は、人々に時刻を示すだけでなく、
復興した帝都が規則正しく動き出したこ
とを示す“都市の鼓動”でもあります。
銀座四丁目の時計塔のような存在は、
近代都市が自らの成熟を誇示するため
の、きわめて分かりやすい象徴でした。
その意味で、時計は銀座の景観であると
同時に、昭和初期の精神そのものを映す
モニュメントでした。

現在の和光の大時計。銀座を象徴する建物
銀座和光の時計台のある風景 VideoCreator 20260502
松竹芸能を重ねて見る

タレントのヒロコヒーさんは、当初、銀座の
街並みに威圧感を感じていたが、所属事務
所が銀座にあることから「アータね、この街
こそが今日のアタクシの舞台ですわよ」と
ユーモアーのあるセッセイが会場で紹介
されております。
この所属事務所が多分、「松竹芸能」の
事と思います。
松竹芸能を重ねてみると、銀座のモダン文化
は演芸や大衆娯楽とも深くつながっていたと
考えられます。
銀座が百貨店、カフェー、映画館、ダンスホ
ールなどの都市文化を育てたように、近代の
芸能もまた、都会の感性を磨く重要な要素で
した。
松竹芸能のような「笑い」や「舞台」の文化は、
銀座の洗練と大衆性が交差する場所性と相性が
よく、時代の空気を伝える補助線になります。
展示を見ながらその視点を持つと、銀座は“商業
地”というより“文化の交差点”として見えてきま
す。
まとめ
『100.80.60.展』を歩くと、銀座の100年は単な
る年表ではなく、復興・流行・視覚文化・都市の誇
りが重なった物語だと分かります。
1920年代のモボ・モガ、1927年のネオン、1928年
のアイスクリームパーラー、1932年の大時計は、
すべて「銀座が近代日本の顔になっていく過程」の
断片です。
その断片をつなぐと、銀座は“歩けば時代が見える街”
だったのだと実感できます。
次回は、1940年代以降を紹介します。
お楽しみに

銀座プレイスの日産ギャラリーから見る
銀座和光の時計台

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