異国の戦場で彗星を発見した日本人 -アマチュアの彗星発見の第1人者、本田実氏-

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ここ最近、新彗星が肉眼彗星になり、明るく大きな尾を

伸ばして話題になっております。


彗星に関心を持つ方々も多いのではないでしょうか。


数十年前には、日本のアマチュア天文家たちが、毎年、

新彗星を発見した時期がありました。

「彗星日本」と呼ばれた時期もありました。


アマチュア天文家、新彗星発見の第一人者には、

本田実さんが上がられます。


生涯で、12個もの新彗星を発見しました。


偉大な業績を残した本田実さんのエピソードの

ひとつをここに紹介します。

注)タイトル画像の彗星は本文中の彗星と関係ありません

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本田實(みのる)氏について

大正2(1913)年、鳥取県八頭郡八東村(八頭郡八頭町)

に生まれました。


少年の頃から星に興味を持っており、昭和2(1927)年頃、

28ミリシングルレンズを購入して望遠鏡を自作して、土星

の環や木星の衛星を見ました。


昭和7(1932)年、彗星への強い関心と山本一清(天文学者)

との縁を経て、昭和12(1937)年に黄道光観測所(広島県

福山市。山本一清による開設)の観測員になりました。


昭和15(1940)年に初めて新彗星「岡林・本田彗星」を発見、

翌年に倉敷天文台に着任しました。


しかしその後、兵員として軍に招集され戦地に向かいました。

戦地のシンガポールで彗星を発見!

従軍した本田実氏は、異国の夜空に映る星の姿に天体観測への思いが
忘れきれず、内地の妻に望遠鏡を戦地に送るように手紙を送ったそう

です。


本田氏の妻は、本田氏の友人の木辺成麿氏に相談し、口径55mmの

ポータブル望遠鏡を戦地の本田氏に送ったとの事。


本田氏は送られてきた天体望遠鏡を敵国偵察用という理由で背のう

にぶらさげて戦地を歩いたという。


そんな頃の本田氏の手記です。

星図をもたない彗星さがしでは、ひとつこんな思い出がある。


1941年から1946年まで、わたしはひとりの兵士としてマライ半島の

戦場にいた。

はじめて見る南十字星や、そこによこたわる銀河やマゼラン星雲は

星好きのわたしの心を夜毎楽しませるものであった。


ある日わたしは戦場で、こわして捨てられている8cmぐらいの望遠鏡

の対物レンズを拾った。

そのレンズをつかって20倍の望遠鏡を組み立て、それで彗星を発見し

ようと思いたったのである。


戦場の常として自分の居場所を何処にも伝えることができないので、

新しい星を発見することによってあるいはそれを知らせることがで

きるかもしれないと思いたったのであった。(注=居場所を妻に

知らせること)

わたし達の駐屯するシンガポール島のチャンギー地区は、ゴム林に

囲まれてこれが戦地かと思える静かなたたずまいであった。

そこの宿舎の庭に望遠鏡を据えたのであった


宿舎は一日に一度ははげしいスコールに洗われる。


スコールが通り過ぎると空は美しく晴れて、夜は見事な観測日和

になるのであった。

さてしかし、彗星を発見するといっても比較する星図がない。

星図がないとすると彗星を見分ける方法はただひとつ。

これから出会う彗星らしい星団や星雲に出会えば、それを必ず、

少なくとも2回以上観測して、それが移動するかどうかを確かめて

彗星か星雲かの判断をしなければならないことであった。

そのような手間のかかる方法しか彗星を見つける方法はないよう

であった。

捜索をはじめたある夜であった。望遠鏡の視野のなかに、ひとつの

9等ぐらいの星雲のような天体がはいってきた。

しかもそれは観測をはじめて、最初にはいってきた星雲状の天体

であった。


やがてその天体はゴム林のかなたに没してしまったのであったが、

とにかく怪しい天体は翌日をまって2回調べてみなければ彗星か

どうか分からないので、翌日をまつことにしたのであった。


翌日も空はよく晴れた。

待ち遠しい時間がすぎて、南国の空に陽は落ちてあの星の見える時間

がきた。

おどる心をおさえ、しずかに昨日の位置に望遠鏡を向けてみると、

なんとそれが動いているではないか。

しばらく、呆然とした。意識が蘇って、それが動いているとなれば

彗星ではないか、彗星にちがいないとすれば…、と思うまでにはし

ばらくの時間がかかった。


この星のことは、このあと何人もの人の好意がはたらいて、シンガポ

ールから東京天文台まで記録が運ばれたが、新彗星ではなくてグリグ

・スケレルプ周期彗星であることが後になってわかった。


手元に比較する星図もないのに彗星を発見しようなどという無謀な思い

で始めたこのことが、その望遠鏡に最初にはいってきたものが彗星で

あったとは、今思い出しても不思議でならない。

 倉敷天文台で活躍当時の本田実氏 コメットハンター関勉のホームページより

参考文献および引用文献
「天文月報」1990年12月号(天文月報第83巻12号)より転載
星へものを尋ねて(わが感情天文学)本田実 より


未知の星を求めて 関勉 関彗星発見30周年記念出版 

本田実氏の逝去を悼む 古在由秀 天文月報 1990年10月

まとめ

ここ最近、新彗星が肉眼彗星になり、明るく大きな尾を

伸ばして話題になります。


彗星に関心を持つ方々も多いのではないでしょうか。


数十年前には、日本のアマチュア天文家たちが、毎年、

新彗星を発見した時期がありました。


アマチュア天文家、新彗星発見の第一人者は、本田実

さんが上がられます。


偉大な業績を残した本田実さんのエピソードのひとつを

紹介しました。

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